2019年12月 のアーカイブ

ローマの信徒への手紙 10:14~21
「しかし、全ての人が福音に従ったのではありません。」(10:16) 

 紀元前167年に、アンティオコス・エピファネスがエルサレム神殿から財宝を奪い、ユダヤ人たちに律法の教えを捨てるよう命じました。この時から、ユダヤ人たちの中に、「律法を異邦人から守り、律法の実践によって異邦人から自分たちを区別する」という意識が強くなりました。
30代前半で復活のキリストに召されるまで、パウロも熱心なユダヤ主義者でした。しかし、異邦人伝道へと召されてからは、教会内に残るユダヤ主義との戦いが続きました。キリスト者として教会へと招かれた異邦人に対して、ユダヤ人キリスト者たちからユダヤの習慣に倣うことを強要され、教会内に隔ての壁が出来てしまっていたからです。
律法(聖書)を用いて教会内に線が引かれてしまう、ということは今の教会でも起こり得ることです。15~16節でパウロはイザヤ書の苦難の僕の歌から引用して、この痛みを嘆いています。
聖書は、自分と隣人を線引きするための言葉ではありません。我々を罪から遠ざけ、守ってくれる言葉です。我々人間が勝手に作り出す線引き・壁を壊して全ての人を一つにしてくださる方がお生まれになりました。これが、クリスマスの喜びです。

マタイによる福音書 2:1~13
「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」(2:10) 

 神は人に旅立ちをお与えになります。東方の占星術の学者たちにメシアの誕生を示す星の光が見せられへと旅へと導かれました。
 学者たちはエルサレムに行きます。そこにはメシアの誕生を喜ばないヘロデ王と、エルサレムの人々がいました。クリスマスはとても静かで平和な喜びの出来事のように考えられていますが、御子の誕生の周辺には、神の救いの御業に必死で抵抗する罪の力が渦巻いていました。自分の支配を奪われまいと非道を尽くすヘロデの姿があります。
 星は、私達に働く罪の力の悲惨さを暴き出しながら、罪からの救い主を照らします。学者たちは、ベツレヘムで生まれたばかりの赤ちゃんの下にたどり着きました。学者たちはそこで自分たちの「この方に出会い、礼拝するためだった」という旅の意味をしりました。
 今私達は、キリストの下へと誰かを導く星の役割が与えられています。生きることに暗闇を感じる人たちのために、小さな光として遣わされています。

詩編68:1~19
「あなたは高い天に上り、人々をとりことし、人々を貢物として取り、背く者も捕られる。彼らはそこに住み着かせられる。」(68:19) 

 詩編68編は、出エジプトを思い返しながら、イスラエルが神によって担われ、導かれていることを讃美する歌です。詩人は、イスラエルが40年間歩かされた苦しい旅を恨んでいるのではありません。荒野で自分たちが「貧しい」(11節)ことを学ばされたことに感謝しているのです。
 聖書で「貧しい」とは、神の前に謙遜である、神の前に何も持っていない、神の前に力を捨てている、ということです。キリストはそのような人たちを「幸いなるかな」(マタ5:3)とおっしゃり、祝福を宣言され、教会を創造されました。
 19節の「彼らはそこに住み着かせられる」という言葉は、エフェソの信徒への手紙4:8で引用され「人々に賜物を分け与えられた」と解釈されています。
 「彼は戦利品としておびただしい人を受ける」(イザ53:11)と預言されていたように、キリストは苦難の僕としての痛みの戦いを通して、世の罪人をご自分のものとしてくださいました。今、貧しい人にキリストから賜物が一人一人与えられ、インマヌエルの歩みが続けられています。

ヘブライ人への手紙1章
「神はその長子をこの世界に送るとき、『神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ』と言われました。」(1:6) 

 この手紙は紀元80~90年頃に書かれたと考えられています。エルサレム神殿を失い、ペトロやパウロ、主イエスを直接知っていた信仰者たちももういない、教会にとっての試練の時代です。
 手紙の著者は1章で、旧約聖書を7つも引用して、「代々の信仰者たちが待ち望んでいたメシアは来たではないか」と言って教会を励まします。「彼を礼拝せよ」の「彼」はイエス・キリストです。
主はサマリア人の女性に「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である」(ヨハ4:23)とおっしゃいました。女性はメシアを待っていましたが、主は「それは、あなたと話しをしているこの私である」とおっしゃいました。
真の礼拝から最も遠いと思われる貧しい人たちのところにまで、神は足を運び、御自身への礼拝への招きを告げられます。
教会は、キリストのご降誕と、キリストの再臨という二つの「アドベント」の間を生きています。世の終わりに完成される神の招きに向かって礼拝の歩みを積み重ねて生きる新しいイスラエルなのです。

詩編24編
「栄光に輝く王とは誰か。強く雄々しい主、雄々しく戦われる主。」(24:8) 

 神の創造の御業、創造主である神を求める巡礼者たちの会話、創造主なる神が到来される喜びの讃歌、という構成の詩編です。
 大海・潮の流れの上に神が創造の御業を行われたことが言われています(1節)。水は古代オリエントでは、混沌・無秩序の象徴でした。神が混沌に勝利され、秩序の調和を創造されたことが讃美されています。
 イエス・キリストは嵐を鎮められたことがあります。弟子達は、「風や湖さえ従うではないか。いったいこの方はどなたなのだろう」と驚きました。この方こそ、神の平和を取り戻すために世の混沌の中へと来てくださった創造主でした。
 「万軍の主」の到来が讃美されています。妻を守る夫のように、子供のために身を挺する親のように、神は契約の民イスラエルのために戦ってこられました。イスラエルの勝利は、神による勝利でした。
 「神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる」(黙示録21:3)。私達はキリストに導かれながら救いの完成へと向かっている巡礼者です。

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