2019年9月 のアーカイブ

マタイによる福音書 27:45~56
「イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。その時、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり・・・」(27:50~51) 

 キリストの死の瞬間に起こった出来事を福音書は記しています。聖書の原文では、神殿の垂れ幕は上から「裂かれた」となっています。聖書はこれを、神がご自分の神殿の垂れ幕を、ご自分の独り子の命をもって上から裂かれた御業として証言しています。
 その時、大地が揺れました。神が地の罪を裁かれる時、「地は裂け、甚だしく裂け、地は砕け、甚だしく砕け、地は揺れ、甚だしく揺れる」と預言されています(イザ24:19)。
大地が揺れるのを見てまず信仰を告白したのは、主イエスを十字架に打ち付けたローマ兵たちでした。主の十字架は、罪人と神をつなぐ道となりました。キリストの死によって「道」が切り拓かれ、「上から」の招きによって主の下に集う人々がキリスト教会とされ、今の私達があるのです。「イエスは、垂れ幕、つまりご自分の肉を通って、新しい生きた道を私達のために開いてくださいました」(ヘブ10:20)。

マタイによる福音書 27:32~44
「神殿を打ち倒し、三日で建てる者。神の子なら、自分を救ってみろ、そして十字架から降りてこい。」(27:40) 

 人々は「神の子なら自分を救ってみろ」と言います。「この子は自分の民を罪から救う」(1:21)とヨセフが天使から告げられた通り、主は「ご自分を十字架から」ではなく「ご自分の民を罪から」救うメシアでした。ご自分を救えないのではなく、ご自分を十字架に上げた人たちのために、十字架の上に留まってくださっているのです。メシアにとって十字架から降りる、ということは、罪人を見捨てる、ということでした。
 「神の子なら・・・」という言い方は、サタンの誘惑の口調です(4章)。教会がキリストの体である限り、「教会なら、自分で自分を救ってごらんなさい、信仰という十字架から降りてごらんなさい」という誘惑が追いかけてきます。「楽な道」「安易な道」「うまい話」が教会の周りにはたくさんあります。
 しかし聖書は、嵐の小舟の中で「主よ、助けてください」と祈る信仰を伝えています。私達は船が大きいから乗り込んだのではありません。キリストが乗っていらっしゃるからこの小舟に身を丸ごと乗せたのです。「私は、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ」(黙示録2:9)。

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