2019年4月 のアーカイブ

詩編22編
「主は貧しい人の苦しみを決して侮らず、さげすまれません。」(22:25) 

 「貧しい人」という言葉が繰り返されています(25、27節)。これは、神が無くては生きていけないという貧しさです。一滴の水を求めるように神の御声を求めている人達、それが礼拝者の姿です。
人々から嘲られながらも続ける祈りは無駄には終わりません。「私の神よ、なぜ私をお見捨てになるのか」という叫びは、「主は私の羊飼い。私には何も欠けることが無い」という23編の言葉へと変えられていきます。
祈りに応えてくださった神の御名を、「私は兄弟たちに語り伝えます」と詩人は歌います。祈りが集まれば礼拝の群れとなります。礼拝の群れは、共に讃美を捧げます(26~27節)。讃美の輪は兄弟に、集会の会衆に、全世界に、既に死んだ者、まだ生まれていない者たちにまでも広がり、全てが神の支配の内におかれていきます(28~32節)。
イエス・キリストの「天の国はあなたがたのものだ」という言葉を祈りの中で聞いた信仰者自身、そのまま神の救いの徴となり、その人の礼拝の生活がそのまま証しの生活となるのです。

詩編22編
「私の神よ、私の神よ、なぜ私をお見捨てになるのか。」(22 2) 

 絶望から希望へ、苦しみから讃美へ、孤独から喜びの群れへ・・・極から極へと至る祈りの詩です。
 詩人は霊の渇きを覚えています。「私の神よ」と呼び掛け、神が「私の神」であることを信じぬこうと、自分の祈りの言葉をぶつけて戦い続けます。
 22節まで続いた苦しみの訴えは、23節から突然讃美へと変わります。私達は苦しみと讃美の間にキリストの十字架を見ます。キリストの十字架を踏み越えて、私達は讃美の礼拝へと進み出て行くのです。 
 罪による死を前に「私の神よ、なぜ私をお見捨てになるのですか」と叫ばなければならなかった私達に代わり、主が十字架の上で詩編22編を歌い上げてくださいました(ヘブ2:17)。それによって私達を讃美の礼拝へと押し出してくださったのです。
詩編は礼拝の中で祈られ、今に至るまで受け継がれて来ました。罪人の祈りの叫びが讃美へ変えられる創造の御業は、キリストの十字架が証しされる礼拝の中で起こり続けています。

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