2019年3月10日 のアーカイブ

マタイによる福音書 26:1~13

「あなたがたも知っている通り、二日後は過越祭である。人の子は、十字架に付けられるために引き渡される。」(26:2) 

 天の国の教えを全て伝え終えた主イエスは、ご自分の十字架の死が過越祭の中で起こることをおっしゃいました。ご自分の死が、世に新しく与えられた過越の救いであることを示されたのです(ヨハ1:29、1コリ5:7)。
 ベタニアでの食事の席で主イエスは香油を注がれました。それは弟子達も、シモンの家の人達も、香油を主に注いだ女性本人も気づくことの無かった、歴史上最も厳粛な瞬間でした。主は「彼女は香油を注いで、私を葬る準備をしてくれた」とおっしゃいます。神が御独り子を過越しの羊として屠り場へと召し出すために油注がれた瞬間でした(イザ61:1~3)。文字通り、この方は「メシア(油注がれた者)」なのです。
その瞬間に居合わせた弟子達は、全力でその光景を目に焼き付け、心に刻むことが求められました。「貧しい人たちはいつもあなた方と一緒にいる」と言われています。聖書が言う「貧しさ」は、地上の富では満たすことの出来ない魂の飢え渇きという、霊的な貧しさです。教会は、重荷を負う人たちに、十字架へと召されたメシアの元に魂の解放があることを示していくのです。

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