2019年3月 のアーカイブ

マタイによる福音書 26:1~16
「そのころ祭司長たちは民の長老たちは、カイアファという大祭司の屋敷に集まり、計略を用いてイエスを捕らえ、殺そうと相談した。」(26:3) 

 「屋敷」とは、屋敷の中庭のことです。公には話せない内容でした。何とかナザレのイエスを殺そうと考えていた彼らに突破口をもたらしたのは、12弟子の一人、イスカリオテのユダでした。ユダが主を裏切った理由は謎です。福音書は明確なことを書いていません。
 イスカリオテは「ケリヨトの人」という意味です。ユダヤ地方の中でも南に位置する町の名前です。ユダだけは、他の弟子達と違って生粋のガリラヤ人ではなかったようです。異なった背景・意識・考え方の人だったのでしょう。この夜、ユダは他の11人とは違った葛藤を抱えていたようです。
 主イエスは銀貨30枚で引き渡されました。奴隷一人分の値段です。ゼカリヤ書11章に、神から与えられた救いの生贄の子羊に、悪い羊飼い(イスラエルの指導者)が銀貨30枚という値段をつけた、という幻の預言があります。
 この夜に錯綜していたそれぞれの思惑を超えて、神の救いのご計画は着実に進んでいたのです。

マタイによる福音書 26:1~13

「あなたがたも知っている通り、二日後は過越祭である。人の子は、十字架に付けられるために引き渡される。」(26:2) 

 天の国の教えを全て伝え終えた主イエスは、ご自分の十字架の死が過越祭の中で起こることをおっしゃいました。ご自分の死が、世に新しく与えられた過越の救いであることを示されたのです(ヨハ1:29、1コリ5:7)。
 ベタニアでの食事の席で主イエスは香油を注がれました。それは弟子達も、シモンの家の人達も、香油を主に注いだ女性本人も気づくことの無かった、歴史上最も厳粛な瞬間でした。主は「彼女は香油を注いで、私を葬る準備をしてくれた」とおっしゃいます。神が御独り子を過越しの羊として屠り場へと召し出すために油注がれた瞬間でした(イザ61:1~3)。文字通り、この方は「メシア(油注がれた者)」なのです。
その瞬間に居合わせた弟子達は、全力でその光景を目に焼き付け、心に刻むことが求められました。「貧しい人たちはいつもあなた方と一緒にいる」と言われています。聖書が言う「貧しさ」は、地上の富では満たすことの出来ない魂の飢え渇きという、霊的な貧しさです。教会は、重荷を負う人たちに、十字架へと召されたメシアの元に魂の解放があることを示していくのです。

マタイによる福音書 25:31~46

「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたことは、私にしてくれたことなのである。」(25:40) 

 オリーブ山の教えの締めくくりの言葉です。人の子が栄光の座に着き、世を裁かれる際の情景が描き出されています。
世の終わりに集められた「全ての国の民」は、祝福と呪いの岐路で、キリストから「私の兄弟である最も小さい者の一人」に対してどうであったか、と問われるのです。
祝福へと分けられた人達は「天地創造の時から用意されている国」の支配を任されることになることが言われています。アダム(人)とエバ(命)のために創造された楽園に、全ての被造物を取り戻そうと、神は今も働かれていらっしゃいます。
「私達は皆、鏡のように主の栄光を映し出しながら・・・主と同じ姿に造り変えられていきます。これは主の霊の働きによることです。」(Ⅱコリ3:18)
キリストは教会の一人ひとりのことを「私だ」とおっしゃっています。教会は聖霊によってイエス・キリストの似姿として世に生き、王の右側(救いの祝福)に通じる道を示していくのです。

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