2018年11月 のアーカイブ

マタイによる福音書 24:3~14

「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(24:12~13) 

 主はこれから弟子達を待つ信仰の苦難を預言されます。「艱難」、「迫害」「思い煩い」「富の誘惑」、全て今に至るまで信仰者を取り巻くものです(13章)。キリストを見捨てた弟子達、教会を迫害したパウロは、なぜ主のもとに戻って来たのでしょうか。
 「不法」とは、神の律法がない状態です。「神への愛・隣人への愛」こそ律法である、と主はおっしゃいました(22:40)。弟子達、使徒たちは、主から離れた「不法」の中で、殺伐とした愛のない世界を見たのです。
 「皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています」(フィリ2:41)。これこそ私達が生きているこの世という荒野です。使徒たちは愛のない苦しみよりも、愛のために苦しむ幸いを選びました。
最後まで耐え忍ぶことを主はお求めになっています。「雀一羽さえ、あなたがたの父のお許しが無ければ、地に落ちることはない」(10:29)。狼の群れの中で信仰によって神に生かされる羊の姿は、そのまま証しの器となります。信仰の忍耐は、キリストの体という真の神殿を築き上げるのです。

マタイによる福音書 24:3~8

「これらはすべて産みの苦しみである。」(24:8) 

 神殿の崩壊はいつのことか、世の終わりを自分たちが知ることはできるのか、という弟子達の質問に対する主イエスお答えは、「人に惑わされないように気をつけなさい」という一言でした。
 自称メシアの出現、戦争の噂、飢饉や地震といった、「世の終わりを思わせる」ようなことが、弟子達が生きた1世紀には続きました(使徒言行録5:36以下、21:37)。
 イスラエルは歴史の中で滅びを体験する度に、最後まで残る希望は神への信仰であることを見せられて来ました。エルサレム崩壊の中、預言者エレミヤは主の言葉を伝えます。「この私が、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる」(エレ23:3)。
 時代の混乱の中で、信仰者は信仰を揺さぶられます。しかしパウロは、教会は復活の時へと向かう「産みの苦しみ」の時を生きている、と言います(ロマ8:22~25)。聖霊は、私達の呻きを祈りとして執成し、万事が益となるよう働いてくださっていると言うのです。
 「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜」んだ(使徒言行録5:41)。揺れる時代の中にあっても、弟子達は惑わされず、キリストを見つめ、信仰を残したのです。

ヨハネによる福音書 1:1~8
「初めに言葉があった。・・・暗闇は光を理解しなかった。」(1:1~5) 

 ヨハネ福音書は、天地創造の初めよりも前の、全ての根源から語り始めます。そこに立ってイエス・キリストを見ることから、我々はこの方が一体誰なのかを知っていくことが出来るのです。
 この福音書が書かれた時代には、多くの人が、神と人間はそれぞれ別の世界で何の接点もなく生きていると考えていました。聖書は人間が勝手に作り出した壁を砕くところから始めます。神の言が光となって、神の側から壁を越えて世を照らしに来てくださったのです。
 世(暗闇)は光(キリスト)を理解しませんでした。世は神を十字架へと上げるのです。聖書は、二重の意味をもって私達に真理を訴えます。「理解しなかった」には、「消せなかった・勝てなかった」という意味もあります。闇は光を消すことができなかった、死の力も、キリストに勝つことはできなかった、と告げるのです。
 神は洗礼者ヨハネを世に遣わされました。彼の使命は光に照らされることでした。自らが照らされることでキリストを証しするという使命は、今教会に受け継がれています。私達は死に勝る光に照らされています。

ヨハネによる福音書 21:1~14
「・・・それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。」(21:11) 

 主イエスの弟子達は、故郷で元の漁師としての生活に戻りました。それぞれの胸の内に敗北感があったでしょう。「あの方との時間はなんだったのか」という重いものを言葉にせず、黙々と網をうっていました。
 夜通し漁をしても何もとれませんでした。夜明けとともに復活の主、イエス・キリストが来られ、言葉をお与えになります。キリストという「夜明けの光」と共に、「闇の中にあった網」に大漁の魚が入りました。
 主を岸辺に見た嬉しさのあまり湖に飛び込んだペトロが陸に上がって見たものは炭火でした。炭火の前で三度「私はイエスの弟子ではない」と言った自分を思い出したでしょう。
 主イエスと弟子達は共に食事をします。ガリラヤ湖畔の朝焼け、キリストと弟子達の、罪も死も乗り越えた清い静寂に満ちた美しい食卓です。
 この後、主はペトロに「ペトロ、私を愛しているか」と問われます。炭火の前で主を否んだペトロは、今度は炭火の前で「私はあなたを愛します」と答え、新しい一歩を踏み出しました。
 弟子達の網は破れませんでした。教会という網の中で生ける者も、死ねる者も、一つの民となり、キリストのもとに導かれていくのです。

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