2018年2月 のアーカイブ

イザヤ書 16章

「それゆえ、わがはらわたはモアブのために、わが胸はキル・ヘレスのために竪琴のように響く」(16:11) 

 モアブの民に「娘シオンの山」という救いの道が示されましたが、モアブは再び偶像に戻りました(16:7)。モアブは再び神に打たれることが告げられます。
 そのモアブのために、主なる神は泣かれます(9節、11節)。神は人間を裁き、同時に、裁きを受ける人々と共に痛みを覚え、涙を流されるのです。「ああ、エフライムよ、お前を見捨てることができようか。イスラエルよ、お前を引き渡すことができようか・・・私は激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる」(ホセ11:8)
この嘆きが、1世紀後にエレミヤを通して新しい契約の預言として語られ、更に600年後、その契約が、イエス・キリストの十字架となって実現するのです。キリストは、飼い主のいない羊のような群衆をご覧になって、「深く憐れまれ」ました。「はらわたが痛む」、という言葉です。神の痛むほどの愛によって私達は生かされています。
「その日には、誇る者は卑しめられ、傲慢な者は低くされ、主はただ一人、高く上げられる。偶像はことごとく滅びる」(イザ2:17~18)。

イザヤ書 15章

「わが心は、モアブのために叫ぶ。」(15:5) 

 13章から、イザヤは幻を見せられ、一つ一つ名指しして国々に裁きを預言していきます。これは24章まで続きます。24章まで読み進めると、エルサレムも含めた全世界への裁きの言葉となります。
 神は裁きの御手をもって人間の驕り高ぶりを削いでいき、世界を「全く裸に」されます(24:3)。裁きによって世の罪がそぎ落とされた先で、主を求める叫びが起こり(24:14)、復活の希望が示されるのです(26:19)。
 モアブの人々は、ケモシュの神に自分の子供を焼いてささげるようなこともしていました(列王下3:26)。それなのに、一夜にしてモアブは滅びます。自分の手に持てるだけの財をもって難民となり、国境を超えることになることが語られます。
 キリストは弟子達におっしゃいました。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」。神はイザヤの口を通して全世界にこのことを問われます。
 神はモアブのために叫ばれました。惜しんでいらっしゃるのです。裁きの宣告の中に、神の招きの叫びがあることを見落としてはなりません。

マタイによる福音書 17:22~27

「子供たちは納めなくてよいわけだ。しかし、彼らを躓かせないようにしよう。」(17:26~27) 

神殿税は、幕屋の維持のために集めるよう神から命じられた「命の代償金」に元をもっています(出エジプト30:11以下)。
主イエスは神の子であり、神殿の主であり、神殿にまさる方です(12:6)。その方と共にいる主の弟子達、今で言えば、キリスト教会は神殿税を納めなくてもいいはずです(12:49)。私達にとって命の代償は神殿税ではなく、キリストの血です。
 しかし、主は「彼らを躓かせないようにしよう」とおっしゃって納税されました。ここでは誰も「躓かせない」ということを最優先にされています(18:6~7)。
「私の言葉に留まるならば、あなたたちは本当に私の弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(ヨハ8:32)。
キリストの下に生きることが私達の自由です。主は「人々を躓かせないようにしよう」と、真理に至る道を狭めることを回避されました。教会も、この時のイエス・キリストご自身のお姿に倣いつつ、柔軟さをもって福音を世に伝えていくのです。

マタイによる福音書 17:14~20

「弟子達はひそかにイエスの所に来て、『なぜ、私達は悪霊を追い出せなかったのでしょうか』と言った。」(17:19) 

 弟子達は以前ガリラヤで行ったように、「自分たちが」少年を悪霊から救えると思い、悪霊払いを試みました。結果は失敗でした。群衆の前で恥をかき、戸惑い、主イエスにひそかに質問しに来ました。
主イエスの答えは単純なものでした。「信仰が薄いからだ」。「あなたがたに信仰がないからだ」と訳した方が文脈の意味が通ります。この時弟子達は「からし種一粒」ほど(最小のものを意味する表現)の信仰すら失っていたのです。
信仰の働きの確かさは人間の側にあるのではありません。「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、私の慈しみはあなたから移らず、私の結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと、あなたを憐れむ主は言われる」(イザヤ書54:10)。神の契約に信仰・祈りの確かさがあるのです。からし種一粒ほどの信仰を手放すまいともがく私達は、そのもがきの中で、神の奇跡のために用いられていきます。
主イエスは、弟子達に「その子をここに、私の所に連れて来なさい」とおっしゃいました。弟子達は少年の手を引いて主の元に連れて行きました。ここで弟子達が求められた信仰の業は、これだったのです。

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