マタイによる福音書 4:23~5:12

「心の貧しい人々・・・悲しむ人々は幸いである。」(5:3~4)

 「心の貧しい人々」は「霊において貧しい者たち」という意味の言葉です。霊的な貧しさ、それは、神の憐れみ無しには生きられない、という渇きです。財産の多い少ないにかかわらず、霊の貧しさをキリストの前に注ぎ出す人達は、幸いの宣言を受けるのです。
 26章にベタニアという村で、主イエスの頭に香油を注ぎかけた女性のことが記されています。女性は「極めて高価な香油」を持っていたわけですから、決して貧しい人ではなかったでしょう。しかし、「打ち砕かれた霊・打ち砕かれ悔いる心」(詩編51:19)を主に注がずにはいられない「貧しさ」をもっていました。主は女性の「貧しさ」を喜ばれました。
 目の前に集まった「悲しむ人々」に主イエスはイスラエルをご覧になっています。自分たちの国・神殿・同胞の死を悼み悲しんだ人々です。紀元前6世紀、バビロニアの軍隊によって祖国を失った民は、それでも信仰の種を蒔き続けました。「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる」(詩編126編)。今、主イエスの幸いの宣言によってイザヤ書61章の救いが実現したのです。  

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