マタイによる福音書 4:23~25

「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いを癒された。」(4:23)
 主イエスがなさった伝道は、「教え」「宣教し」「癒す」という三つの事でした。一番初めに挙げられているの「諸会堂で教える」ということが主イエスの伝道活動の中心でした。これは、我々の礼拝と変わらないことです。
 ある人々は、「ヨルダン川の向こう側」から主を求めてやって来ました。異邦の地からヨルダン川を越えて、「噂に聞こえたその方こそ自分を照らす光ではないか」と旅をしてきたのです。
イエス・キリストへの信仰を貫くということは、キリストに自分の一生を「賭ける」ということではないでしょうか。神の国のからし種は本当に芽を出すのか、自分の信仰が最終的にどんな実を結ぶのか、誰にもわかりません。それでも、まるごとこの方に自分の命をお預けするのです。
 主を求めてやって来る人たちは、「ひれ伏して」います。これは、「礼拝する」という言葉でもあります。神に造られた者が、礼拝すべき方を知らないのは、何と不自然なことでしょうか。本当にひれ伏すべき方を知った、ということが福音の喜びであり、私達に与えられた「光」なのです。            

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