マタイによる福音書 4:1~11

「すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。『神の子なら・・・』」(4:3)

 サタンは特別悪いことを提案しているようには見えません。神の子がパンを石に変えること、神の子が屋根から飛び降りてみること、それらは誰かを不幸にするようなことではありません。サタンの誘いは、「神の子の特権を用いて、神を自分の奴隷をしてみてはどうか」というものでした。
 サタンは6節では聖書の言葉を引用して主イエスを誘っています。神の言葉を知らないから誘惑するのではありません。サタンほど神の言葉を知り、恐れる者はありません。だから、神の言葉を遠ざける働きをするのです。
 三番目の誘惑を通して、「誰を拝むのか」ということが我々にも問われています。主イエスは「人はたとえ全世界を手に入れたとしても自分の命を失ったら何の得があるだろうか」(16:26)とおっしゃいます。
 自分の地上の命が終わってもその先で、天と地の一切の権能を授かっていらっしゃるイエス・キリストが受け止めてくださいます。「誰を拝むべきか」、私達は人生の荒野の中で常に問われるのです。                     

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