マタイによる福音書 2:13~23
「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない・・・」(2:18)

 BC586年、バビロニアに国を滅ぼされたイスラエルの人々は、ラケルの墓があるとされているラマという場所に集められ、そこからバビロンへと連行されて行きました(エレ40:1)。預言者エレミヤは、捕囚の民として連行されていく人々を見ながら、自分の子供を失ったラケルが嘆く、と民族の悲嘆を表現しました。
 しかし、福音書が引用しているエレミヤ書31:15は、実は希望の預言なのです。この言葉の後、「泣きやむがよい、目から涙をぬぐいなさい、あなたの子供たちはいつか捕囚から帰って来る」という神の慰めの言葉が続きます(エレ31:16~17)。
 ベツレヘムの母親たちは、ラケルのように嘆きました。しかし、そのことを越えて、民は罪から救われ、新しい契約へと導かれ、その目から涙が拭われるのです。嘆きは希望へと変えられます。
 私達は、神の守りの内にエジプトからガリラヤへと導かれた幼子イエスに、救われていくキリストの体なる教会の姿を見るのです。

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