マタイによる福音書 2:1~13

「これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。」(2:2)

世の全ての人が救い主の誕生を喜んだわけではありませんでした。国境を越えてまでメシアを拝みに来た人たちもいれば、不安になってメシアを殺そうとした人たちもいました。十字架の後、復活なさった主イエスにガリラヤで再会した弟子達でさえ、「ひれ伏した者(礼拝した者)と「疑う者」に分かれました(マタ28:16~17)。主の誕生においてと同様に主の復活においても、このように「礼拝する者」と「拒絶する者・疑う者」に分かれたのです。
 これは、決して過去のことではありません。神の招きが豊かに与えられれば、罪の力、誘惑も我々人間に強く働きます。福音書には、生身の人間の姿が描かれています。これは神の招きと罪の働きの中で揺れまどう私達の姿でもあります。
 聖書は、主イエス・キリストが世に来られた今こそ、終わり(=救いの完成)の時であり、真の礼拝を捧げる時であることを伝えています。聖書は、東方の学者たちを導いた星のように、私達を礼拝へと導こうとしているのです。       

コメントは受け付けていません。

カテゴリーとタグ
2018年10月
« 9月    
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031  
ログイン
アクセス情報