創世記 22:1~19

「神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。」(22:9)

 アブラハム・イサク親子に神から試練が与えられました。父は子に薪を背おわせ、子を屠るために山に登ります。この時のイサクの姿は、十字架を背負いゴルゴタの丘へと進まれる主イエスと重なります(ヨハネ福音書19:17)。
 イサクと主イエスの違いは、イサクには代わりの生贄の子羊が与えられ、主イエスには与えられなかった、ということでした。
 そのようにして見ると、今度はイサクの姿が我々自身の姿と重なってきます。私達は、本当は薪(十字架)を背負って祭壇に向かい、死ななければならなかったのに、イエス・キリストという代わりの生贄が与えられ、「主の山に備えあり」という祝福に生きることが許されたのです。
 愛する独り子を十字架の祭壇にささげてくださった神の痛みによって、今私達が生かされていることを、「アブラハムのイサク奉献」は物語っています。 

コメントは受け付けていません。

カテゴリーとタグ
2018年10月
« 9月    
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031  
ログイン
アクセス情報