イザヤ書 6:1~13

「しかし、それでも切り株が残る。その切り株とは聖なる種子である。」(6:13)

 神は、イスラエルを突き放す言葉をイザヤに託されました。この時代のイスラエルにとって、神の元に立ち返って癒されること以上に、神から突き放されることが必要だったのです。
 主はイザヤを通して、滅びの先にある救いの「切り株」をお示しになりました。「エッサイの根」から若枝が育ち、主は御自分の民を買い戻されます(11:1~11)。この切り株からイエス・キリストに到る新たな系図が始まります。
イザヤ本人も、この切り株から始まる救い(=キリスト)を見ることはできませんでした。神の救いの御計画がどのように実現されていくのか、我々には単純に捉えきることはできません。世代を超えて実現していくからです。我々が見ることが許されているのは、その内のたかだか数十年です。
神は御自分の救いの計画のためには、裁きをも用いられます。その裁きをも信頼するのが私達の信仰ではないでしょうか。「イスラエルよ、お前は自分の神と出会う備えをせよ」(アモス4:12)。

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