テサロニケの信徒への手紙2 2:1~12

「主の日は既に来てしまったからのように言う者がいても、慌てふためいたりしないで欲しい。」(2:2)
 
 この手紙が書かれる10年ほど前に、ローマ皇帝ガイウスが、自分の像をエルサレム神殿の中に建立する決断をしました。静かな忍耐と期待を抱いていた教会の中に、緊張が高まりました。「神殿に座り込み、自分こそは神であると宣言する」者が現れたからです(2:4)。
主の日の到来の前に苦しみの時を経なければならない、ということを教会の人々は信じていました。主イエスは、「女が子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、1人の人間が世に生まれ出た喜びのために、その苦痛を思い出さない」と救いの完成の前に与えられる苦しみを、「生みの苦しみ」に例えていらっしゃいます。
 パウロは、動揺したテサロニケ教会に、「あわてるな」と言います。世の終わりには、主イエスが来られて、全ての人が集められます(2:1)。私達がキリストの君臨を見ないのであれば、どんなに世に混乱が生じようとも、それは、終わりではないのです。

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