ルカによる福音書 15:11~32

「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」(15:20)

 主イエスの食卓には、徴税人や罪人、ファリサイ派と律法学者たちが座っていました。「なぜ罪人も」と不満に思った人達に対して話されたのが「放蕩息子のたとえ」です。
 父の家を捨てた弟は我に返ります。今までの自分の生き方に意味を見いだせなくなりました。父の家で暮らすことこそが意味ある生き方であることに気付いたのです。
 家に受け入れられる資格の無い弟を、父はこれ以上ない仕方で喜び、歓待しました。「この息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」(15:24)と祝宴を始めます。
 教会で私達が帰って来るのを待っていてくださるイエス・キリストのお姿をここに見ることが出来ます。自分が「父」をどれだけ悲しませてきたか、また、今も「父」がどれだけ自分を待ってくださっているかをここに見るのです。
 私達はこの弟でしょうか、それとも、弟の帰りを父と共に喜べなかった兄でしょうか。聖書はそのことも問いかけています。

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