テサロニケの信徒への手紙1 3:1~10

「あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。」(3:8)
 
 聖書が言う「生きる」とはどういうことなのでしょうか。
 主イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4:4)、「私は命のパンである」(ヨハネ福音書6:48)とおっしゃいます。神の言葉である主イエスを受け入れ、神の支配に生きることが、聖書が言う「生きる」ということなのです。
 パウロの使徒としての役割は、人々に福音を伝えキリストに立ち帰らせることと、立ち帰った人々のキリスト者としての生き方をその土地・社会に根付かせることでした。信仰を「持つこと」よりも、信仰を「持ち続けること」の方が大変なことです。
 その土地・社会にキリスト者の生き方を根付かせるのは、神です。「パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます」(Ⅱコリ9:10)。パウロは伝道の中で、教会は信仰生活の中で、神によって「生かされていた」のです。

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