マルコによる福音書15:21~32

「そこへ、アレクサンドロとルフォスの父でシモンというキレネ人が・・・兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。」(15:21)
 
 福音書は、残酷な十字架刑に処せられるキリストの肉体的な痛みよりもその周りの人々に焦点をあてて記しています。十字架を担いだシモンや、主をののしった人々です。
 主イエスは「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」とおっしゃいました(8:34)。私達にとって、シモンのように担がなければならない十字架とは何でしょうか。
 主の代わりに釈放されたバラバがこの十字架を見たら、どう思ったでしょうか。「これは、本来なら私の十字架だった。この方が上げられたから、私は今生きることを許されている」と思ったでしょう。私達に必要な視点は、これです。
 主が「背負え」とお命じになった私達の十字架は、主が既に背負ってくださったのです。なんと軽い十字架でしょうか。福音書は、十字架の周辺を描くことによって、私達が主の十字架をどう見ているかを問うのです。

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