マルコによる福音書15:1~15

「ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。」(15:15)
  
 主イエスはピラトと群衆のやり取りの間、ただ、状況に身をゆだねて一言も言葉を発していらっしゃいません。
 これは創世記22章のイサク奉献の出来事に似ています。アブラハムは黙って神の御命令・御計画に従うのです。そして22:14で「ヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)」という学びが与えられます。「イルエ」は「見てくださる」という言葉です。
 神がまず見てくださる、そして今の自分に必要なものを備えてくださる。これを信じ、生きるのが私達の信仰です。
 主イエスはこの時、ご自分の十字架と復活を見ておられました。我々人間にご自分の受難と復活が必要であると、見ておられたのです。
 私達の今は、キリストの受難と復活があっての今です。そして、神がまず見てくださって与えられている今です。生きることにおいて無意味なことは何一つありません。

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