マルコによる福音書15:1~5

「ピラトが再び尋問した。・・・しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。」(15:4~5)

 「神の子メシアと自称した」と言ってもピラトに取り上げてもらえないことを知っていたユダヤ人たちは、「ユダヤ人の王と自称した」という容疑を主イエスに着せました。ローマ人にとって「ユダヤ人の王」とは、ユダヤ民族を扇動しローマに反逆する者という意味になります。
 ピラトは最高法院の人達が騒ぎ立てる中で沈黙なさる主イエスのことを「不思議に思」いました(直訳:驚いた)。これもイザヤ預言の実現です。「彼は多くの民を驚かせる。彼を見て・・・一度も聞かされなかったことを悟ったからだ」(イザ52:15)。
 主イエスの沈黙は誰も聞いたことのないような救いを雄弁に物語りました。だからピラトは驚いたのです。これは私達の驚きでもあります。
 神は主イエスの御業を通して、人間に、罪の深さと、それに対する赦しの深さを啓示されました。見たことも聞いたこともないような救いへの驚きが、私達の生き方を日々創造するのです。

コメントは受け付けていません。

カテゴリーとタグ
2018年12月
« 11月    
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31  
ログイン
アクセス情報