マルコによる福音書14:32~42

「『わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。』」(14:34)
 
 ゲツセマネで祈られる主イエスのお姿は、敵と戦われる神のお姿です(ゼカ14:4)。主の敵は、罪の力でした。
 この時主がおっしゃった「悲しい」という言葉は、創世記では「怒っている」と訳されています(4:6)。別のユダヤ教文献では、「親友に敵になる悲しみ」という表現で用いられています。ゲツセマネで主が感じていらっしゃった「悲しみ」は、「親友が敵になり、神に顧みられない時に感じる、怒りとも悲しみともつかない心の動き」でした。とてつもない苦しみです。
 主はこの「悲しみ」の中、祈りによって戦い抜かれました。最後には、「立て、行こう」と弟子達におっしゃるのです。
祈れば自分の人生から恐怖や悲しみがなくなる、ということはありません。信仰者は祈りを通して、試練の中にある神の御心を尋ね求めるのです。

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