マルコによる福音書14:22~26

「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」(14:24)

 過越の食事は「契約」と密接に結び付いています。出エジプトにおいては、子羊の血による主の過越しがあって、イスラエルはシナイ山で契約を結ぶことができたのです(出エジ12章、24章)。
 しかし、主はこの過越祭の食卓において、過去に起こった出エジプトの救いについてお話しなさっているのではありません。「これから」弟子達に、また多くの人(=全ての人)に与えられる救いについて話されています。
 弟子達は一つのパンから食べ、一つの杯から飲みました。このことによって、一つの共同体となったのです(Ⅰコリ10:16~17)。
 キリストが流された血はイザヤが預言した苦難の僕の犠牲でした。「彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する」(イザ53:11)。主の収穫とは、キリストの体である教会に入れられた私達なのです。

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