マルコによる福音書14:1~9

「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」(14:9)

 主イエスはシモンではなく、この名もない女性がしたことが記念される、とおっしゃいました。この女性は、この食卓に招かれていた客ではありません。外からいきなり入って来て、過越祭という、施しの意識が高まる時に、ベタニア(=貧しい者の家)という村で高価な香油を注ぎました。当然、人々に非難されます。しかし、主は「この人は私に良いことをしてくれたのだ」とおっしゃいました。この「私に」というのが決定的に重要です。
 聖書の原文では、この場面で「持つ」という単語が何度も用いられています。彼女は持っていたものを、キリストに対して使いました。問題は持っているものの価値ではありません。誰に対して使うか、です。また、誰に用いていただくか、です。
 神はモーセに「あなたが手に持っているものは何か」とお尋ねになりました。「杖です」とモーセは答えます。この杖から出エジプトは起こされました。奇跡は、私達信仰者の手を神がお用いになって生まれるのです。たとえそれが空っぽの手であっても。

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