コリントの信徒への手紙Ⅰ 12:12~27

「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」(12:26)

 コリントにあった教会の中で、互いに優劣をつけ、排斥し合うようなことがあったようです。クリスチャンを特別にしているものは、ただ洗礼です。「神が御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれた」(18節)、それだけです。
 「わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとにもどらない」(イザヤ書55:11)とあるように、教会というキリストの体に召された者たちは、一人ひとりが、神の望みによってそこに置かれている者なのです。
 イスラエル(教会)は、共同体としてのはじめから、また、個々人の召しのはじめから、弱いものなのです(申命記7:6~8、Ⅰコリ1:26~29)。神は私達が弱いからこそ召し出し、憐れむために教会を建ててくださっているのです。教会の、また信仰者の誇りはここにあります。
 

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