マルコによる福音書9:33~37
 

「イエスは弟子たちに、『途中で何を議論していたのか』とお尋ねになった。彼らは黙っていた。」(9:33)

 この主イエスと弟子たちのやりとりは、旧約聖書における神とイスラエルの関係によく似ています。共に生きる、という契約を結んだにも関わらず、イスラエルは神の御心が理解できず、的外れな生き方をしました。
 「途中で何を議論していたのか」という主の問いに、弟子達は沈黙しました。神の御前に顔を上げることができないでいる自分に気付かされたのです。一見辛いことのようにも思えますが、これこそ信仰者に与えられている本当の幸せではないでしょうか。
 人間的な議論の終わりには、神の前における悔い改めの沈黙が待っています。キリストは私たちを支配している人間的な言葉(=罪の誘惑)を静めてくださいます。その沈黙の中において、静かな神の言葉を聞かせてくださるのです。
 

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