マタイによる福音書 27:32~44
「神殿を打ち倒し、三日で建てる者。神の子なら、自分を救ってみろ、そして十字架から降りてこい。」(27:40) 

 人々は「神の子なら自分を救ってみろ」と言います。「この子は自分の民を罪から救う」(1:21)とヨセフが天使から告げられた通り、主は「ご自分を十字架から」ではなく「ご自分の民を罪から」救うメシアでした。ご自分を救えないのではなく、ご自分を十字架に上げた人たちのために、十字架の上に留まってくださっているのです。メシアにとって十字架から降りる、ということは、罪人を見捨てる、ということでした。
 「神の子なら・・・」という言い方は、サタンの誘惑の口調です(4章)。教会がキリストの体である限り、「教会なら、自分で自分を救ってごらんなさい、信仰という十字架から降りてごらんなさい」という誘惑が追いかけてきます。「楽な道」「安易な道」「うまい話」が教会の周りにはたくさんあります。
 しかし聖書は、嵐の小舟の中で「主よ、助けてください」と祈る信仰を伝えています。私達は船が大きいから乗り込んだのではありません。キリストが乗っていらっしゃるからこの小舟に身を丸ごと乗せたのです。「私は、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ」(黙示録2:9)。

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