マタイによる福音書 26:36~46
「父よ、私が飲まない限りこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」(26:42) 

 主はゲッツセマネにペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人を伴われました。三人にお命じになったことは「私と共に目を覚ましていなさい」、それだけのことでした。「私の姿をよく見ていなさい」ということです。
 弟子達はしかし、眠ってしまいました。主は「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい」とおっしゃいます。心がどれだけ燃えても、誘惑と向き合うには祈りしかないのです。
 もう一度戻って来られた主イエスは、それでも弟子達が眠っているのをご覧になって、何も言わず、再び祈りの場へと戻って行かれました。もう一緒に目を覚まして共に祈ってくれる友がいないことを知り、今度こそ孤独の祈りの戦いとなりました。
 あの晩眠ってしまったことを、3人の弟子達はどれほど後悔したでしょうか。ペトロは、後に教会に「目を覚ましていなさい」と訴えます(1ペト5:8~11)。主が、眠る自分たちのために祈りの戦いをしてくださったことを思い出し、涙をもって訴えたのではないでしょうか。
 神が火の柱をもってイスラエルのために寝ずの番をしてくださったように、キリストは私達のために祈ってくださいます。

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