詩編22編
「主は貧しい人の苦しみを決して侮らず、さげすまれません。」(22:25) 

 「貧しい人」という言葉が繰り返されています(25、27節)。これは、神が無くては生きていけないという貧しさです。一滴の水を求めるように神の御声を求めている人達、それが礼拝者の姿です。
人々から嘲られながらも続ける祈りは無駄には終わりません。「私の神よ、なぜ私をお見捨てになるのか」という叫びは、「主は私の羊飼い。私には何も欠けることが無い」という23編の言葉へと変えられていきます。
祈りに応えてくださった神の御名を、「私は兄弟たちに語り伝えます」と詩人は歌います。祈りが集まれば礼拝の群れとなります。礼拝の群れは、共に讃美を捧げます(26~27節)。讃美の輪は兄弟に、集会の会衆に、全世界に、既に死んだ者、まだ生まれていない者たちにまでも広がり、全てが神の支配の内におかれていきます(28~32節)。
イエス・キリストの「天の国はあなたがたのものだ」という言葉を祈りの中で聞いた信仰者自身、そのまま神の救いの徴となり、その人の礼拝の生活がそのまま証しの生活となるのです。

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