イザヤ書 50:1~11
「私は逆らわず、退かなかった。打とうとする者には背中をまかせ、ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。」(50:6) 

バビロンで捕囚となっていたイスラエルの民の中には、「自分たちは神から一方的に離縁され、奴隷として売り飛ばされ、見捨てられた」という嘆きがありました。神は、「そんな離縁状があるのなら、見せてみよ」とおっしゃり、「捕囚という悲劇はお前たちの罪・背きの結果だとは考えないのか」と問われます(50:1)。
 民はイザヤの「エルサレムに帰ろう」という解放の預言を素直に聞きませんでした。救おうと御手を差し伸べられる神に応えようとしない民に、神は「お前たちは、それぞれ、火をともし、松明を掲げている」と言われます。
バビロンからエルサレムへの帰還は、第二の出エジプトでした。苦しい荒野の旅です。その旅に加わった「残り者たち」は、救いの苦しみの中で、「自分の松明」以上に確かな導きを体験することになりました。
苦難の僕の歌が歌われています。痛めつけられても神の招きを伝え続けた預言者の姿は、イスラエルをお求めになる神の姿そのものでした。

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