マタイによる福音書 24:26~44
「目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。この事をわきまえていなさい。」(24:42~43) 

 キリストの弟子達の「主」は、「帰ってくる主」であることが大前提とされています。そして「主の帰還がいつなのか自分たちでは分からない」ことをわきまえておきなさい、と言われます。
 主イエスはノアの話をなさいました。不法の日常の中で、神は裁きのご計画を義の人ノアにお告げになりました。ノアは陸の上に船を造ります。しかしノアに倣う者はいませんでした。
「その日」まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。「その時」まで日常があったのです。誰も今自分たちの前の前にある日常が明日なくなるとは考えませんでした。神の救いへの招きに耳を傾ける人がどれほど少ないか、という現実を突きつける物語です。
 ある人は、「信仰とは神の言葉を生活することだ」、と言いました。私達の信仰は、今の生活が全てキリストとの再会への秒読みの中にあることを忘れない、というところにあるのです

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