マラキ書 3:1~5
「あなたたちが待望している主は、突如、その聖所に来られる。」(3:1) 

 預言者マラキは「あなたがたが待望している主の到来の日は、喜びの日ではなく、裁きの日となる。それに絶えられるか」と問いかけ、悔い改めを促します。
イスラエルの民はバビロン捕囚から解放され、エルサレム神殿の再建も成し遂げました(BC515)。しかし、その後半世紀を経ても、外国による支配は終わらず、民の中に、神殿での礼拝や律法に幻滅する人たちが出てきました。
信仰に幻滅した人たちの中にはレビ人や祭司もいました。彼らは大土地所有者であったサマリアの上流階級の人たちの娘を妻に迎え、異教の信仰と共に富を得ていました。バビロン捕囚以前の不信仰の歩みに戻っていたのです。
紀元前5世紀半ばに、マラキがレビ人や祭司たちに告げた警告は、私達にキリストの再臨の日への備えの呼びかけとして聞こえます。
ヨハネの黙示録には「神と子羊の怒りの大いなる日」が預言され、「誰がそれに耐えられるであろうか」と言われています(黙示録6:17)。「神の秘められた計画を委ねられた管理者」に求められているのは「忠実であること」というパウロの言葉を刻みたいと思います(1コリ4:1~2)。

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