マタイによる福音書 23:31~24:2
「エルサレム・・・私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。」(23:37) 

 ご自分から離れたエルサレムを取り戻そうとしてきたこれまでの救いの御業に応じようとしなかった民の頑なさを、神がここで嘆いていらっしゃいます。
 「見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる」と主はおっしゃいます。神の家であるはずの神殿を、「お前たちの家」と呼んでいらっしゃいます。「祈りの家」が「強盗の巣」となり、人間の家となった時、神殿は滅ぶのです。
 「今から後、決して私を見ることが無い」という主イエスの言葉は、警告であり、「キリストが見えるところまで来なさい」という招きでもあります。「私は、あなたがたをみなしごにはしておかない・・・世はもう私を見なくなるが、あなたがたは私を見る」と弟子達におっしゃっています(ヨハ14:18~19)。ステファノは殉教の時、天を見つめ、そこにキリストのお姿を見ました(使徒8:56)。
 今、私達信仰者の群れが、キリストという土台の上に建てられた神殿です。キリストを土台としている限り、信仰のか細い線は世代を超えてつながっていきます。

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