マタイによる福音書 23:13~26
「律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしている・・・。」(23:23) 

 主イエスはファリサイ派・律法学者たちのことを「不幸だ」とおっしゃいます。これは、死を悼む嘆きの叫びです。山上の説教では「幸いだ」という宣言で始まりましたが、この神殿説教では反対の教え方をなさいます。聖書が伝える「幸い・不幸」とは、「神と共にいる・離れている」、ということです。それが祝福と死の岐路なのです。
 この時代のファリサイ派は、律法の細部にこだわった議論に終始してしまい、律法全体がイスラエルに求めている使信を見失っていました。木を見て森を見ず、という本末転倒に陥っていたのです。どれだけ聖書の知識があっても、聖書が伝える「神はあなたを愛していらっしゃる」という言葉が聞こえないのであれば無意味です。イスラエルはいつでも正義・慈悲・誠実を伴った信仰を求められて来ました(ミカ6:8)。
 主は以前弟子達に「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に注意しなさい」とおっしゃいました。「人に見せるための信仰」は教会の中に入り、膨らんでいく誘惑の種です。正義・慈悲・誠実をないがしろにしないための祈りの戦いこそ、私達の信仰生活です。

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