マタイによる福音書 21:18~22

「信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」(21:22) 

 預言書には、神は不信仰のイスラエルを実をつけないイチジクと呼んで叱られている言葉がよくあります(ミカ7:1、エレ8:13など)。
 葉っぱだけが茂り実をつけていない、見かけだけ立派なイチジクを主イエスは枯らされました。それは祈り無き「祈りの家」のエルサレム神殿の行く末を示す象徴預言でした。
 主は「来月になれば実がなるだろうから、それまで待とう」とはおっしゃいませんでした。「悔い改めに相応しい実を結べ」「斧は既に木の根元に置かれている」という、神への立ち返りを求めるヨハネの切迫した言葉を思い出します。
 枯れたいちじくを見て驚いた弟子達に、主は「信じて祈るならば何でも得られる」とお教えになります。主の復活後の弟子達を支えるものが何であるかをここで示されたのです。
 後にペトロは、神殿の境内で生まれながら足の不自由な人を癒す際、こう言いました。「私には金や銀はないが、持っている者を上げよう。ナザレの人、イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(使徒言行録3章)。 世の終わりが迫る中、キリストの御心だけが実現していきます。

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