マタイによる福音書 19:1~12
「創造主は初めから人を男と女とにお造りになった」(19:4) 

 ヘロデの結婚に苦言を呈した洗礼者ヨハネは、ペレア地方で首をはねられました。その地方をお通りになった主イエスに、ファリサイ派の人たちが「離縁」という問題を持ち出して試そうとします。
 ユダヤでは長い間聖書の掟の解釈についての議論が続けられてきました。その議論を通して様々な解釈が生まれ、派閥が出来て行きました。当時は、「夫は自分の都合で妻を離縁していい」、というヒレル派の理解が、広く受け入れられていたのです。
 ガリラヤから来たイエスはどの派の理解を持っているのか、という興味をもっていたファリサイ派の人たちに、主イエスまずおっしゃったのは「天地創造においてどうだったか」ということでした。「申命記のあの掟に関してどの派の解釈が正しいのか」、という狭い議論ではなく、「天の国を見失っているのではないか」というキリストの問いです。
 天地創造まで遡って考え、そこから今の自分を顧みると、結婚の有無も含め、この体も命も、歩いている道も、全てがそれぞれに応じて与えられた賜物であることを知らされます。「人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います」(1コリ7:7)。

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