マタイによる福音書 18:15~20

「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」(18 20) 

 「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」とパウロは伝道者テモテを励ましています(2テモ4:2)。キリストをまだ知らない人に、ではなく、既にキリストを知っている教会の人々に「宣べ伝えなさい」と言っているのです。「誰も健全な教えを聞こうとしない時が来ます。その時、人々は自分の都合の良いことを聞こうと好き勝手に教師たちを寄せ集め・・・」とパウロが言うように、教会の中にも誘惑の力との戦いがあるのです。
 キリストはご自分の群を乱し、自分も群れから去ろうとする人のために「祈れ」とお命じになります。「キリストを信じる小さな者の一人」を失うことは、キリストにとって文字通り、体の一部を失う痛みなのです。
「私はあなたのために、信仰が無くならないように祈った」(ルカ22:32)。地上の者に過ぎない二人、三人であっても、それがキリストの名(支配)の下にある祈りなら、それはキリストの祈りに加わるということであり、天の父の御心となります。

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