イザヤ書 18章

「主はわたしにこう言われた。『わたしは黙して、わたしの住む所から、目を注ごう。』」(18:4) 

 クシュは、エジプトの南、現在のエチオピアの辺りの国です。ユダ王国のはるか南にあった、いわば地の果てのようなクシュにとっても、アッシリアの軍隊の南下は脅威でした。クシュの叫びに主なる神がお応えになります。神は世界の果ての祈りを聞かれ、世界の果てまで御手を伸ばされるのです。
 しかし神がおっしゃったのは「私は黙して、私の住むところから目を注ごう」という言葉でした。黙って見ているだけ、という消極的な態度に思えます。
 ある人は、「神の御業は、見ることではなく、信じることが求められているのだ」と言います。神の御手は静かに、裁かれる者の目にも、救われる者の目にも見えない仕方で伸ばされます。「毒麦のたとえ」は、神は気づいていらっしゃらないのではなく、黙って「時」が来るまで見ていらっしゃる、ということを教えています(マタ13:24以下)。
 キリストは「私は平和ではなく、剣をもたらすために来た」とおっしゃって、我々を信仰の戦いへと召されます。この小さな群れを通して神はご自分の勝利を世に示されるのです。

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