イザヤ書 17章

「その日には、人は造り主を仰ぎ、その目をイスラエルの聖なる方に注ぐ。」(17:7) 

 神は、ダマスコとエフライムへの裁きと、その先にある祝福をお示しになっています。滅びの廃墟の中でアシェラの祭壇の空しさを悟り、人々は造り主を仰ぎ、その目をイスラエルの聖なる方に注ぐようになる、と言われています。
聖書に記されているイスラエルの歴史を見ると、神に裁かれるまで、神に立ち返ろうとしない歩みを繰り返しています。どれほど人の心が固く神を忘れやすいか、ということを聖書の歴史は私達に教えています。
歴代誌下30章に、南王国の王ヒゼキヤが、南北のイスラエル王国全体で一緒に過越祭を祝おうと呼びかけたことが記されています。呼びかけに応じたのは、アシェル、マナセ、ゼブルンの三部族の人達だけでした。北王国の中でも一番北(一番アッシリアに近く、滅びに近いところ)に住んでいた人たちです。このことは、神の裁きに対する人間の姿勢というものを物語っているのではないでしょうか。
「アッシリアは倒れる。人間のものではない剣によって。人間のものではない剣が彼らを食い尽くす」(31:8)。その剣は、神に敵対する者にとっては恐怖であり、立ち返る者には希望です。

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