イザヤ書 16章

「それゆえ、わがはらわたはモアブのために、わが胸はキル・ヘレスのために竪琴のように響く」(16:11) 

 モアブの民に「娘シオンの山」という救いの道が示されましたが、モアブは再び偶像に戻りました(16:7)。モアブは再び神に打たれることが告げられます。
 そのモアブのために、主なる神は泣かれます(9節、11節)。神は人間を裁き、同時に、裁きを受ける人々と共に痛みを覚え、涙を流されるのです。「ああ、エフライムよ、お前を見捨てることができようか。イスラエルよ、お前を引き渡すことができようか・・・私は激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる」(ホセ11:8)
この嘆きが、1世紀後にエレミヤを通して新しい契約の預言として語られ、更に600年後、その契約が、イエス・キリストの十字架となって実現するのです。キリストは、飼い主のいない羊のような群衆をご覧になって、「深く憐れまれ」ました。「はらわたが痛む」、という言葉です。神の痛むほどの愛によって私達は生かされています。
「その日には、誇る者は卑しめられ、傲慢な者は低くされ、主はただ一人、高く上げられる。偶像はことごとく滅びる」(イザ2:17~18)。

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