マタイによる福音書 15:21~31

「そこで、イエスはお答えになった。『婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように。』」(15:28) 

 イスラエルの敵・偶像礼拝の民であるカナン人女性が「ダビデの子」とユダヤ人のメシア称号で呼び、「主よ、憐れんでください」というイスラエルの祈りを叫びます。
 主イエスは沈黙でお応えになります。「それでも私を求めるか」というカナン人女性の祈りに対する無言の問いかけではないでしょうか。
 23節から27節まで、原文では各節の冒頭に「しかし」という言葉があります。試される主イエスと、それでも求める女性の間に「しかし」「しかし」と激しいやり取りが続きます。
 女性は「主よ」と呼び続け、この方の足元に自分の身を投げ出しました。「ひれ伏した」は「礼拝し続けた・祈り続けた」と訳していい言葉です。彼女はそこから離れませんでした。離れられなかったのです。もうそこしか残されていなかったのです。「しかし」が、28節で「そこで」に変わります。
 信仰とは、キリストの前に徹底的に自分が負ける、ということではないでしょうか。

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