マタイによる福音書 15:1~20

「弟子達が近寄ってきて、『ファリサイ派の人々がお言葉を聞いて、つまずいたのを御存じですか』と言った。」(15:12) 

 神の民を本当に汚すものは心から出てくるものであり、人間の言葉が神の言葉を無にしている、という主の言葉を聞いたファリサイ派の人々は腹を立て、その場を去って行ったようです。
 弟子達は民衆から尊敬を受けていた彼らと主イエスの決別を見て不安になりました。人の目を気にする臆病な弟子達の姿です。
 しかし弟子達は後に、最高法院の中で大祭司に向かって「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」と胸を張るように変えられます(使徒言行録4~5章)。キリストの十字架のお姿が、また主の十字架から逃げた彼らを再び招かれた復活のキリストのお姿が彼らを変えたのです。
 弟子達は「大胆に御言葉を語らせてください」と祈り、聖霊が与えられてキリストの復活の証しを続けました。人の目を恐れることなく大胆に証しをさせてくださるのは聖霊の働きによるのです。
 「玉座の中央におられる子羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとく拭われる」(黙示録7:17)。私達が本当に畏れるべきは、この方です。

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