マタイによる福音書 13:24~30

「主人は言った。『いや、毒麦を集める時、麦まで一緒に抜くかもしれない。』」(13:29) 

 畑の毒麦のたとえです。良い土地に、良い種と悪い種の両方が蒔かれた、という話です。毒麦の方が普通の麦よりも根が強いため、抜こうとすると周りの麦まで抜けてしまいます。「主人」は、「仕方ないから両方処分しよう」、とは言いませんでした。収穫まで待って、茎から切って一本一本分ける、という手間のかかる決断を下すのです。麦を惜しむからです。
 私達はこのたとえに、終末の裁きを見ます。たとえが示すのは、私達は今、毒麦が毒麦とわかるほどに育った刈り入れ間近の緊張感に満ちた時に置かれている、ということです。
 新約聖書に記されている信仰の証しの言葉を読むと、どこを切っても終末の緊張感に溢れています。教会が世の裁きに対して気が緩まないように忍耐して主を待て、と言います。「裁く方が戸口に立っておられる」とヤコブは言います(ヤコ5:7~9)。
 「主人」は忍耐のいる収穫の仕方を選びました。神は裁きの戸口に立って、忍耐してくださっているのです。全ての人がご自分のもとに立ち返ることを待ちながら(2ペト3:7~9)。

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