マタイによる福音書 13:18~23

「誰でも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。」(13:18) 

 道端に蒔かれた種は「悪い者」に奪われてしまい、石だらけの所に蒔かれた種は「躓き」、茨の中に蒔かれた種は茨が「覆いふさぐ」と言われています。
 「躓いてしまう者」は「躓かされる人」という言葉です。この世においては、キリストの弟子達には常に覆いふさぎ躓かせようとする悪い者が働いているのです。
しかし弟子達は、最後の晩餐という契約締結の場にまで従いました。復活の主がご自身を弟子達に現されたのは、あの食卓における契約があったからでしょう。キリストは契約の民をお見捨てになることはありません。「種まく人」として弟子達に実りをご覧になっているのです。
 パウロは「神は、御心のままに、それ(種粒)に体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります」と書いています(1コリ15:38)。世の終わりに神がご覧になる収穫は、教会という畑に実った復活の命であると言っていいのではないでしょうか。悪い者による誘惑・躓きの中を、御言葉を携えて復活の希望に進んでいきましょう。

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