マタイによる福音書 12:33~37

「蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか。」(12:34)

 主はファリサイ派の人たちを「悪い人間」と呼ばれます。何が彼らの「悪」なのでしょうか。
 18章の「許さない家来のたとえ」では、莫大な借金を主人に許してもらった家来が、仲間へのわずかな借金を許さず、主人から「不届きな(=悪い)家来だ」と呼ばれます。25章の「タラントンのたとえ」では、主人から預けられた宝を増やそうとしなかった僕が主人から「怠け者の悪い僕だ」と呼ばれます。神から与えられている赦し・宝・賜物を生かそうとしない家来・僕が「悪い」と呼ばれているのです。 
 パウロは「私達は、このような宝を土の器に納めています」と書いています(Ⅱコリ4:7)。「キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光」という宝が、土に過ぎない自分の中に与えられていることを喜ぶのです。モーセも、「キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました」(ヘブ11:26)。
主イエスがおっしゃる「悪」は、神を知らない人ではなく、神に許され、宝を預けられている人たちが戦わなければならない「悪」なのです。

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