マタイによる福音書 12:15~21

「イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。」(12:15) 

 ファリサイ派の人たちがご自分を排斥する相談を始めたことを知り、主は会堂から退かれました。更にその後、ご自分に従った人々を癒されますが、ご自分のことを言いふらさないように戒められます。消極的とも思える主イエスのお姿は、イザヤ預言の神の僕の到来であった、と福音書は証ししています(イザ42:1~4)。
 8:17で、主イエスの御業の本当の意味は「彼は私達の患いを負い、私達の病を担った」というイザヤ預言の実現であることを示しています。主イエスの癒しは、病を消滅させる力ある業ではなく、ご自分の身に病を引き受けられる神の僕の業である、というのです。
 この方は「傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない」方です。捨てられるのが当たり前の弱い民を「勝利に導くまで」捨てない・背負って行かれます。キリストが私達を背負い、導き入れてくださる「勝利」は、死に対する勝利です(1コリ15:54)。復活の命の希望は消えることがありません。「異邦人は彼の名に望みをかける」(21節)とあります。私達も、預言の中に置かれているのです。

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