マタイによる福音書 12:1~8

「人の子は安息日の主なのである。」(12:8)

 主イエスは、律法の安息日規定の解釈についてお話しなさっているのではありません。ご自分が、旧約聖書で神が「私の安息」と呼んでいらっしゃるものの主であることをおっしゃって、弟子達が安息日に麦畑で麦の穂を摘むことをお許しになった権威がどのようなものであるかをお示しになったのです。 
 この場面は私達にとって福音書の中でも最も恐ろしい場面ではないでしょうか。重荷を負わせる者(23:4)と、重荷を負う者を休ませる方(11:28)の対比がここにあります。人が安息日の主になろうとするところに魂の重荷が生まれます。自分にとって安息日が重荷になる、安息日を人の重荷としてしまう、ということが起こりうるのです。
 異邦人も区別されることなく神の元に集められ、聖なる安息に与り、そこに祈りの家ができることをイザヤは預言しました(イザ56:1~8)。既に集められた者に、更に加えて集めよう、と神はおっしゃいます。この預言は、安息日の主イエス・キリストに立ち返ることで実現されていきます。

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