マタイによる福音書 11:25~30

「私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」(11:28) 

 「『その時』イエスはこう言われた」とあります(25節)。「その時」とは、主イエスに立ち返らなかったガリラヤの町々に対して裁きの言葉を語られた「その時」です。主イエスの祈りと招きは、切迫しています。
 「あなたがたは安らぎを得られる」は、直訳すれば「あなたがたは、あなた方の魂の安らぎを見出すだろう」となります。キリストの軛を負い、キリストに学ぶところに、自分の知恵と賢さでは見いだせない魂の安らぎがあるのです。
 この「学ぶ」を名詞形にすれば「弟子」という言葉になります。私達は一生かけてキリストに自分の魂を委ねつつ、魂の支配者が誰か、ということを学んでいくのです。
自分の知恵と賢さでは背負いきれない重荷に疲れる時、幼子のように涙を流す私達を、神(の子)は抱き上げてくださいます。

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