マタイによる福音書 11:1~6

「来るべき方はあなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」(11:3) 

 「主は贖う者としてシオンに来られる。ヤコブの家の罪を悔いる者のもとに来ると主は言われる」(イザ59:20)、「たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る」(ハバクク2:3)。旧約の預言者たちは「来るべき方」を、それぞれの時代に伝えています。
 ヨハネは牢の中で「キリストのなさったこと(=メシアの業)」を聞きました。ヨハネは、主イエスへの確信が揺らいだのではなく、預言者が言った通りの「メシアの業」(イザ35:3~6、イザ61:1)を聞いて、喜んでいるのではないでしょうか。
 この後、ヨハネは殺されます。彼は最期に、神に幻滅したでしょうか。そうではなかったでしょう、もし幻滅したのであれば、ヨハネは神の言葉を捨てて、牢から釈放されたでしょう。彼は自分の死にも意味を見出したのではないでしょうか。「私に躓かない人は幸いである」(6節)。洗礼者ヨハネは、この祝福を得たのです。
イエス・キリストに真剣に向き合うところから、私達は自分の命の意味を見出していきます。

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