マタイによる福音書 10:40~11:1

「私の弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」(10:42) 

 主イエスは弟子達のことを「使徒」として考えていらっしゃいます(10:2)。遣わされた者は、遣わした者と同等の権威を持つ、と考えられていました。弟子達を通して主イエスを受け入れた人は、主イエスを遣わされた神を受け入れる、ということになります。
 ある人は「これは、キリストが遣わされた者たちと共に、神がその家にお入りになる、ということだ。何という言葉だろうか」と言っています。弟子達(教会)が神の代理人であるということは、恐れ多いことにも聞こえますが、旧約聖書の創世記で言われている「神の似姿」とはそういうことでしょう。
 主イエスの弟子という「小さな者の一人」に冷たい水一杯でも飲ませるぐらいでいただける「報い」とは何でしょうか。「天地創造の時から用意されている国を受け継ぐことができる(=永遠の命)」ことです(25:31~46)。
 「私を信じる者は…その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(ヨハネ福音書7:37~39)。水一杯をもって主をお迎えした私達は、あふれ出るほどの霊の祝福をもって世に出て行くのです。

コメントは受け付けていません。

カテゴリーとタグ
2018年8月
« 7月    
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
ログイン
アクセス情報