マタイによる福音書 10:16~25

「弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。」(10:25) 

 十字架の上で神を父と呼び、神への信頼を貫いて人々の許しを請いながら死なれた主イエスを見て、ローマの百人隊長は、「この人こそ神の子だ」と告白しました。
主イエスは「私のようになりなさい」とおっしゃいます。それが私達に求められている「証し」です。パウロは「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似た者にしようとあらかじめ定められました」と言っています(ロマ8:29)。私達は聖霊によってイエス・キリストに似た者へと創りかえていただくのです。
 キリストの使徒たちは喜びと誇りをもって自分のことを「イエス・キリストの奴隷」であると言います(ロマ・ヤコ・ペト・ユダ1:1)。あの痛みを担ってくださった方が、「心配してはならない」と祝福をもって私達を世に遣わしてくださっています。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」。キリストの僕として証しする痛みも、救いの喜びへと変えられていきます。

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